耶律瑤質(やりつ ようしつ、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家・軍人。字は抜里菫。積慶宮(耶魯盌オルダ)の出身。

経歴

室韋部節度使の耶律侯古の子として生まれた。景宗のときに右通進となった。統和10年(992年)、積慶宮使に累進した。聖宗にたびたび進言して、その多くは聞き入れられた。

統和28年(1010年)、聖宗の高麗遠征に参加して、康肇の軍を銅州で撃破するのに功績を挙げた。高麗王王詢の偽降を見抜いて、聞き入れないよう進言した。高麗軍の拠る険阻な堡塁があり、契丹軍が攻撃しても攻め落とせなかったが、瑤質が策を献じて降伏させた。四蕃部詳穏に抜擢された。

招討使耶律頗的が総管となると、瑤質はその下にいるのを恥として、引退を願い出た。聖宗は「おまえを長くこの任にいさせるつもりはない」と言って瑤質をなだめ、耶律頗的の下から外し、奏上伝達に専任させた。在官のまま死去した。

伝記資料

  • 『遼史』巻88 列伝第18

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