6代目白井 正助(しらい しょうすけ、明治24年(1891年)2月1日 - 没年不詳)は、日本の実業家。

経歴

東京都出身。

六代目正助を襲名する。千葉医大中退。

大正3年(1914年)「瓢箪屋薬房」を相続。昭和2年(1927年)株式会社に改組、社長となり昭和15年(1940年)エスエス製薬株式会社に社名変更。

昭和33年(1958年)2月、金融操作の誤りから経営不振に陥り、これにより社長の白井が退陣し、土手守吉が社長に就任。江戸創業以来つづいた白井一族の手を離れることになり、11月には泰道照山が社長に就任した。

人物像

趣味は書画、骨董、謡。宗教は真宗。

家族・親族

白井家

(東京都世田谷区東玉川町)
エスエス製薬の前身は、明和2年(1765年)美濃国(現在の岐阜県)より出府した白井正助 (初代)が興した漢薬本舗「美濃屋薬房」である。初代正助の跡を継いだ二代目正助、三代目正助、四代目正助は、1700年代終わり頃から1800年代前半にかけて、一層家業の隆盛に力を尽くした。
  • 妻・ミネ
明治28年(1895年)1月生 - 没
  • 長男
  • 次男
  • 三男

関連項目

  • エスエス製薬
  • 泰道照山

脚注


正助(志尊淳)らとの生活に慣れてきた一平(香取慎吾)次は“こども食堂”に目をつけ…『日本一の最低男』第4話予告の画像ページ めざましmedia

Vol.377【初代世界王者・白井義男生誕百年!日本初の2階級4団体統一なるか!?】大勝負に出るタパレスを井上尚弥はどう迎え撃つ? YouTube

東漸寺・伊奈城主の墓|豊川市 東三河を歩こう

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安達吟光による浮世絵「「守田勘弥」「中村宗十郎」「南槙町 白井正助」「池ノ端仲丁 守田治兵エ」「中橋大鋸丁 喜谷市郎右エ門」「市川左団次」」