今野 康晴(いまの やすはる、1973年5月28日 - )は、岐阜県恵那市出身のプロゴルファー。リライブシャツ商品アドバイザー。甥の今野大喜もプロゴルファーである。

略歴

12歳からゴルフを始める。東京学館浦安高校卒業後は日本大学に進学し、3年次の1994年に1年先輩の片山晋呉を破って日本アママッチプレーに優勝。4年次の1995年には日本オープンで14位に入ってベストアマを獲得したほか、関東アマ、関東学生も制した。1996年にプロテストに合格したが、最初はアジアンツアーを転戦し、1997年にマニラ・オープンではペドロ・マルティネス( パラグアイ)、ケビン・ウェントワース( アメリカ合衆国)、ダニー・ザラテ( フィリピン)を抑えて初優勝を挙げている。1998年から日本ゴルフツアーのシード権を獲得すると、スコアメイク術に長けたゴルフを展開。同年にはワールドカップ日本代表に選出され、日下部光隆とコンビを組んで挑んだ団体はマティアス・グレンバーグ&パトリック・ショーランド( スウェーデン)と並ぶ11位タイに終わる。個人ではスコット・バープランク(アメリカ)、ニック・ファルド( イングランド)、コスタンティノ・ロッカ( イタリア)に次ぎ、ショーランド、グレッグ・ターナー( ニュージーランド)、ピーター・オマリー( オーストラリア)、アンヘル・カブレラ( アルゼンチン)、イアン・レガット( カナダ)、コリン・モンゴメリー( スコットランド)を抑えての4位と健闘。1999年の中日クラウンズで尾崎健夫・直道兄弟との最終日最終組対決を制して日本ツアー初優勝を挙げ、2000年にはミズノオープンで優勝。2002年にNST新潟オープン、アイフルカップで2週連続優勝を記録。

2005年はサントリーオープンで3年ぶりの日本ツアー優勝を果たし、これで賞金ランキングを一気に上げ、世界ゴルフ選手権シリーズのアメリカン・エキスプレス選手権に出場資格を得る。結果は25位タイ、イーブンパー、280ストロークであった。ワールドカップ日本代表に2度目の選出を果たし、谷口拓也とコンビを組んで出場したが、カルロス・フランコ&マルコ・ルイズ(パラグアイ)と並ぶ15位タイに終わる。12月4日、年間最終戦の「ゴルフ日本シリーズ」(出場資格は当年度の賞金ランキング25位以内のみ)で初優勝。初めてのビッグタイトル獲得で、自己最高の賞金ランキング2位でシーズンを終えた。自身初となる1億円突破を果たし、同年はパーオン率が1位であった。2009年は頸椎ヘルニアで3ヶ月休養するが、三井住友VISA太平洋マスターズで復活優勝を果たす。2011年にも首を痛めて長期離脱したが、2012年にはシードに返り咲いた。2015年は予選通過が僅か6試合と苦しいシーズンとなり、賞金シード陥落となった。2016年はQT17位の資格で挑み、賞金シード復活を目指した。

アメリカPGAツアーでは、ソニーオープン・イン・ハワイに出場経験もある。

優勝歴

日本ツアー (7)

プレーオフ記録 (0-6)

※太字はメジャー大会

海外

  • 1997年 - マニラ・オープン

関連項目

  • リライブウェア - 商品アドバイザー
  • ゴルファー一覧
  • 岐阜県出身の人物一覧
  • 日本大学の人物一覧

外部リンク

  • 今野康晴 - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール

今野康晴が首位浮上 日本ゴルフツアー機構 The Official Site of JAPAN GOLF TOUR

今野 康晴選手 プロフィール 日本ゴルフツアー機構 The Official Site of JAPAN GOLF TOUR

今野康晴は1ラウンドで4リットル【インタビュー動画】 日本ゴルフツアー機構 The Official Site of JAPAN

今野 康晴 Yasuharu Imano (imanodas) / Twitter

今野康晴プロが伝授!夏ラフの見極め方 Vol.1 みんなのゴルフダイジェスト