藤原 玄上(ふじわら の はるうら/はるかみ/くろかみ)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。藤原南家巨勢麻呂流、中納言・藤原諸葛の五男。官位は従三位・参議。

経歴

刑部丞・蔵人を経て、寛平2年(890年)備前権介に転じると、のち上総介次いで権守と宇多朝後半は地方官を歴任し、この間の寛平5年(893年)従五位下に叙爵している。

宇多朝末の寛平9年(897年)に中務少輔として京官に復帰すると、延喜4年(904年)従五位上、延喜9年(909年)に正五位下、延喜11年(911年)に従四位下と醍醐朝前半に順調に昇進を果たす。近衛中将を経て、延喜19年(919年)参議・刑部卿に任じられ公卿に列す。その後は長く議政官として刑部卿を兼帯し、この間の延長2年(924年)正四位下に叙せられている。

朱雀朝の承平2年(932年)従三位に昇進するが、翌承平3年(933年)正月21日薨去。享年78。最終官位は参議従三位行刑部卿。

人物

管絃に優れ、琵琶の名手であったとされる。また、琵琶の名器として伝承が伝わる「玄上(玄象)」は、玄上の持物であったという。

官歴

『公卿補任』の記載に従う。

  • 時期不詳:上野少掾
  • 元慶7年(883年) 2月:刑部少丞
  • 仁和2年(886年) 正月16日:刑部大丞
  • 仁和4年(888年) 12月15日:蔵人
  • 寛平2年(890年) 正月28日:木工権助。3月9日:木工助。4月23日:備前権介
  • 寛平5年(893年) 正月21日:従五位下(内宴。蔵人)
  • 寛平6年(894年) 9月13日:下総介
  • 寛平7年(895年) 8月16日:下総権守
  • 寛平9年(897年) 正月25日:中務少輔
  • 昌泰2年(899年) 正月11日:少納言
  • 昌泰4年(901年) 正月3日:昇殿
  • 延喜3年(903年) 正月11日:兼大和介
  • 延喜4年(904年) 正月7日:従五位上
  • 延喜5年(905年) 正月11日:兼播磨権介
  • 延喜9年(906年) 正月7日:正五位下
  • 延喜11年(911年) 正月7日:従四位下。7月20日:昇殿如元。
  • 延喜12年(912年) 2月15日:右馬頭
  • 延喜13年(913年) 4月15日:右近衛中将
  • 延喜14年(914年) 正月13日:兼伊予権守。9月7日:中使として藤原忠平に派遣。
  • 延喜16年(916年) 正月:兼近江権介。3月28日:左近衛権中将。
  • 延喜17年(917年) 正月7日:従四位上。
  • 延喜19年(919年) 正月28日:参議。6月3日:兼刑部卿
  • 延喜20年(920年) 正月30日:兼近江権守
  • 延喜23年(923年) 4月29日:兼播磨権守
  • 延長2年(924年) 正月7日:正四位下。2月1日:止播磨権守
  • 延長3年(925年) 正月30日:兼讃岐守
  • 延長5年(927年) 正月12日:兼近江守
  • 延長9年(931年) 日付不詳:止近江守
  • 承平2年(932年) 正月7日:正三位。正月21日:兼美濃守
  • 承平3年(933年) 正月21日:薨去

系譜

  • 父:藤原諸葛
  • 母:百済王勝義の娘
  • 妻:安倍氏の娘
    • 男子:藤原輔仁
  • 生母不詳
    • 女子:保明親王御息所、のち藤原敦忠・藤原文範室
    • 女子:式明親王室
    • 女子:源忠幹室

脚注

出典

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年

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藤原 仁 — Topawards Asia

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