中山 梅治郎(なかやま うめじろう、1869年6月21日(明治2年5月12日) – 1919年(大正8年)10月24日)は、衆議院議員(立憲国民党)。

経歴

大和国磯城郡川東村(現在の奈良県磯城郡田原本町)出身。漢学を学び、1889年(明治23年)ごろより青年義会・青年修弁会を興し、青年たちに立憲主義を唱えた。農業を営み、その改良を図って、大日本農会などからたびたび表彰された。

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。3回連続当選を果たした。

脚注

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 
  • 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 

活動報告 中山三郎の世界

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