山川秀峰(やまかわ しゅうほう、明治31年〈1898年〉4月3日 - 昭和19年〈1944年〉12月29日)は、日本画家・版画家。本名は嘉雄。美人画で知られる。
来歴
生い立ち
京都に生まれる。鏑木清方及び池上秀畝の門人。まず秀畝に師事し花鳥画を学んだ後、1913年に清方に入門し美人画を学ぶ。
画家として
1927年、長沢小輔の美術社より新版画「婦女四題」連作4点を随時出版、1928年には『新興版画選』と題して「美人八佳選」の第1回分を川瀬巴水の「日本新八景」とともに出版している。また同年の第9回帝展には「安倍野」(培広庵コレクション)を出品して特選となり、1930年の第11回帝展には「大谷武子姫」を出品して再び特選に入選した。1931年から帝展無鑑査。ほかに渡辺版画店、西宮書院からも新版画の美人画作品を発表しており、これらは当時の時代模様を写したモダンな美人画であった。秀峰は伊東深水、寺島紫明と共に「清方門下三羽烏」と呼ばれた。
1936年には私刊により「をどり十題」を制作する。1939年に伊東深水たちと共に青衿会を設立し、美人画の開拓に努めた。最も清方の画風を受け継いでいたとみられるが、1944年12月29日に疎開先の神奈川県二宮町の別宅で死去。墓所は大田区妙覚寺。
版画の作品は少ないが気品のある美人画を残した。代表作に「素踊」「序の舞」「羽根の禿」などがあげられる。木版画では「舞踊シリーズ」があり、そのうち、「さらし女」の構図が卓抜で印象的である。他には「赤い襟」「東京駅」「信濃路の女」なども優れている。また、雑誌『講談倶楽部』や『キング』の挿絵を描いている。
門人に五十嵐真穂、志村立美、小林秀恒、武藤嘉亭がいる。作家の山川方夫は息子。
作品
日本画
新版画
- 「婦女四題」より 1.秋 木版多色・紙 美術社版 昭和2年(1927年) 東京国立近代美術館、千葉市美術館、ホノルル美術館所蔵
- 「婦女四題」より 2.雪もよひ 木版多色・紙 美術社版 昭和2年 東京国立近代美術館、千葉市美術館所蔵
- 「婦女四題」より 3.赤い襟 木版多色・紙 美術社版 昭和3年(1928年) 東京国立近代美術館所蔵
- 「婦女四題」より 4.たそがれ 木版多色・紙 美術社版 昭和3年 東京国立近代美術館所蔵
- 「布晒し」 木版画 昭和11年(1936年)
- 「東京駅」 木版画 渡辺版 昭和17年(1942年)
ギャラリー
著書
- 『青森案内』長谷川書林、1915年
- 『古典舞踊を描く』(第1、2)古今堂、1937年
脚注
参考文献
- 日本浮世絵協会編『原色浮世絵大百科事典』第10巻 大修館書店、1981年
- 吉田漱『浮世絵の基礎知識』雄山閣、1987年
- 吉田漱『浮世絵の見方事典』北辰堂、1987年
- 町田市立国際版画美術館編『浮世絵モダーン 深水・五葉・巴水…伝統木版画の隆盛』町田市立国際版画美術館、2005年
- 国際アート編『大正シック展 ‐ホノルル美術館所蔵品より‐』国際アート、2007年
- 江戸東京博物館編『よみがえる浮世絵 うるわしき大正新版画展』江戸東京博物館・朝日新聞社、2009年
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、山川秀峰に関するカテゴリがあります。
- 浮世絵師一覧
外部リンク
- 旧山川秀峰邸 - 文化庁


