『岐阜パルコ』(ぎふパルコ) は1976年から2006年まで、岐阜県岐阜市で営業していたファッションビル。
概要
開店までの経緯
赤字体質から脱却できなかった前身の「山勝百貨店」は、1973年4月に西武百貨店との資本提携を締結した。1976年7月に廃業された百貨店跡に10億円を投じて改装し、1976年9月23日「岐阜PARCO」にリニューアルされ開店した。
開店当初
「岐阜PARCO」は池袋、渋谷、札幌に続く4号店で東海地方では初のパルコ出店であり、当時の同地方では目新しいテナントが入っていたことと、1980年代に国内を拡く席巻したDCブランドブームの影響もあって名古屋方面から訪れる人も多かった。名鉄岐阜駅前交差点の一角と立地の良さもあり、待ち合わせ場所として定着するなど時代の最先端であるランドマーク的存在として賑わいをみせた。
経営環境の変化
1989年にはより大型な「名古屋PARCO」と2000年の「ジェイアール名古屋タカシマヤ」の開店、1988年の「マーサ21」以降は岐阜市郊外での大型商業施設開業が相次ぎ、市内のドーナツ化現象と名古屋方面へのストロー効果が顕著になり岐阜市街地の求心力が低下していった。岐阜市街地の大型商業施設は名鉄岐阜駅周辺の「岐阜パルコ」の他に「新岐阜百貨店」「ダイエー岐阜店」、柳ヶ瀬地区は「岐阜近鉄百貨店」「岐阜髙島屋」「岐阜センサ」「岐阜メルサ」「長崎屋岐阜店」とオーバーストア状態で、1999年に柳ヶ瀬地区の「岐阜近鉄百貨店」閉店を発端に、2000年代に入ると市街地の大型商業施設は「岐阜髙島屋」を除いて閉店ラッシュを起こした。なお「岐阜髙島屋」も2024年に閉店したことで、岐阜市街地から大型商業施設が消滅している。
閉店発表
経営するパルコが、2005年(平成17年) 8月31日の取締役会で来年8月末での閉店を決定し発表した。2005年2月期は売上高24億890000円でピーク時(1992年2月期)の三割程度まで落ち込み、減損会計の早期適用により赤字に陥っていた。経営環境の変化で売り上げが伸び悩み、建物の老朽化対応も重なっていたのが理由。この年は長良橋通りを挟んで向かい側に建つ「新岐阜百貨店」の閉店と、名鉄岐阜市内線が全線廃止されている。2006年(平成18年) 8月20日をもって30年の歴史に幕を下ろした。
閉店後
山勝時代からの建物は閉店から一年ほどのちに解体され、跡地は学習塾の旧「名進研」次いでトヨタ系総合商社が取得し再開発の検討がされたが実現せず、2012年以来コインパーキングの状態が続いている。
テナント
脚注
注釈
出典
参考文献
- 由井常彦 編『セゾンの歴史 上巻 変革のダイナミズム』リブロポート、1991年。ISBN 4845706245。
- 由井常彦 編『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』リブロポート、1991年。ISBN 4845706253。
外部リンク
岐阜パルコ公式HPのアーカイブ ウェイバックマシン



